ぼくのなつやすみ

 

以前、当HPの「お薦めコーナー」で紹介したプレステ版「ぼくのなつやすみ」

をまたやりだした。

このゲームは9才の小学生「ボクくん」になって田舎のおじさんの家で夏休みを

過ごすという他愛のないものであるが、舞台が1970年代という設定なので、

ボクくんにかつての自分を重ねて映し、ノスタルジーを感じてしまう。

このゲームをやりながら、ふと思ったのだが、いっそのこと「東京下町編」をぜひ

作ってもらい、私が実際に体験したことをリアルに再現してもらいたいと勝手な

ことを思ったりする。

はすぴーが小学生の頃、つまり昭和40年代のこどもの夏休みはおおよそこんな

感じだった。(モデルケース:生活水準は中の下、勉強はあまり得意ではない)

 

 

6:00 起床

      目覚まし時計がなくても暑くて自然と目が覚めた

      パジャマと腹巻きを脱ぎ、半ズボンとランニングに着替える

      朝食は おみおつけ、納豆、のり、そして「巨人・大鵬・卵焼き」

      ごはんに「きなこ」や「でんぶ」「あんこ」もかけることがあったが

      今、考えると気持ち悪りぃ〜

      ライオン「こども歯磨き」を卒業し、もう「デンターライオン」を使用♪

6:30 ラジオ体操

      ♪新しい朝が来た希望の朝だ喜びに胸を広げ大空仰げ

      ラジオの声に健やかな胸をこの薫る風に開けよソレ1,2,3

      首からスタンプカードをぶら下げて、近所の神社に向かう

      カードはハガキサイズで「パイゲンC」の広告が入っている。

      体操終了まじかに、スタンプだけ押してもらいにくるやつもいた。

      夏休みの最後の日、スタンプの多い子どもにはノートと鉛筆がもらえる

7:30 宿題

      暑くなる前に宿題をやるよう終業式の日にもらったプリントに

      に書いてあり、忠実にそれを守るところが小市民的。

      「ドリル」は毎日、2〜3ページの割合でせっせと消化した。

9:30

こどもマンガ劇場

 

      チキチキマシン猛レース、ひみつのアッコちゃん、悪魔くん、

      ジャイアントロボ、仮面の忍者赤影、河童の三平、キングコング・・・

      (このあたりが東京では定番の再放送)

         

      たまにNHK教育(理科の実験・社会働くおじさん、明るいなかま)もみる。

      CMの合間をみはからって「ヘチマ観察日記」を適当に書く

12:00

アフタヌーンショー

      そーめんを食べながら桂小金治が「うろたんき〜」といっている手品を見る。

      『指圧の心は 母心 押せば 命の泉わく』 わっはっはっ、と

       浪越徳次郎が元気に笑っている。

       (マリリン・モンローの指圧をしたと自慢している←本当らしい)

      ベルトクイズQ&Qの「こども大会」も同時にみていた。

      食後には「シャービック(メロン味)」と肝油ドロップ2粒。

      肝油ドロップは夏休み前に缶ごと買う。

13:00 昼寝

      昼食後の最も暑い時間帯は”昼寝をするよう”にプリントに

      書いてあり、忠実にそれを守るところが小市民的−その2。

      エアコンなんてものはない時代で、扇風機の下で 家族そろってゴロ寝をした。

      となりで母親がライオン提供の「昼メロ(ドラマ)」を見ていたが、

      タオルケットをそっとかけてくれるのが、嬉しかった。 

14:00 プール

      悪友が誘いきて、公営の「しょんべんプール」にいく。

      プールで泳ぐのに、なぜか「海水パンツ(略して海パン)」という。色は紺が基本。

      水着とは、女性用のものを指していた。

      公営のプールは無制限で20円だった。当然、流れるプール、スライダーはない。

      プールの中で逆立ちをすると監視員に注意される。

      誰が一番、潜っていられるか競い合い死にかけたやつもいた。

      耳に入った水は陽に焼けた小石を耳穴に入れると出てくるんだ

15:00 

お遊びの時間

       ザリガニや蛙を捕まえ釣り、2B弾で爆破する。

       セミやカミキリムシを捕まえる。糸トンボはすばっしこい。

       駄菓子屋には毎日 行って ホームランアイスかあんずボーを買う

       お金のある時には、メロンシャーベット(カップ入り)

       涼しくなってきた頃から「缶けり」タイム

       へび花火、ロケットミサイル、落下傘、爆竹は昼間にできる花火だ

18:00 銭湯

       石鹸を忘れても、水中モーター付きの「スティングレー号」を忘れずに持参。

       銭湯の入り口で、同じクラスの女子と会うと妙に恥ずかしい。

       そして女湯が気になってしまう。

       桶を腹に敷き、”ウルトラマーン”と滑ったりする。

       刺青をしている恐い顔をしたオジサンには近づいてはいけない

       風呂あがりには「森永マミー」を一気飲み。

19:00

夕食&テレビ

(ゴールデンタイム)

       夕食のおかずは今日も「コロッケ」かい。なぜか父だけ「メンチ」だったりする。

       トマトや夏みかんに砂糖をかけて食べたり、麦茶の中に砂糖が入っていたが、

       それが当り前だと思っていた。

       食後に「すいか」の出る日は母の機嫌がいい時。

       先割れスプーンはなく、種もいっしょに食べた。

       テレビは1台しかないので、チャンネル争いは日常茶飯事。

20:00 就寝準備

       ブタの蚊取り線香と蚊帳を母が用意する

       姉とふざけていて、ブタを蹴飛ばして母からブタれる。

       蚊取り線香は金鳥は左回り、ライオン、フマキラー等が右回りなのだ

       まだベープマット(電子蚊取り機)は登場していないのだ。

       その日にあったことを、毎日、絵日記の宿題として適当に書いた。

21:00 ドラマ

       江利ちえみ演じる「サザエさん」が終わると「ザ・ガードマン」があのメロディ

       とともに始まる。夏期限定の怪談話もあり、ふとんをかぶって見る。

       たまにエッチなシーンもある。(裸で抱き合って暑くないのかと余計な心配を

       して損した)  いつのまにか眠ってしまう。。。(-_-)zzz

       

こうしてオーソドックスな1日のパターンをみると、なーんだ宿題を

朝、少しやるだけじゃん、、、、と思われたら困るのだ。

あの頃の夏休みの宿題は、最近の小学生の宿題に比べたらたーくさんあった。

絶対に多かった!!

 

ドリルの名前は「なつやすみの友」といったが、”こんなやつ友だちじゃない”

と誰もがそう思っていた。1冊のドリルに算数、国語、社会、理科とこじんまりと

まとまりやがって、毎日2〜3ページを消化していかないと、溜まってしまい

8/31には「磯野カツオくん」状態になっちまうんだ。

だけど、宿題の提出日は始業式の翌日だったので、始業式の日に友達のドリルを

写しまくるやつもいたけど、小市民のはすぴーにはそういう勇気も悪知恵もなかった。

「なつやすみの友」は地域によって、呼び方が違うということを大人になって知った。

名古屋では「夏の生活」、佐賀県では「夏の友」、高知県では「夏のこども」

大阪では「んなもんありまへんがな」ということで、ドリルがなかったらしい。

(別の呼び名があれば、ぜひお知らせください)

向日葵さんから送っていただいた「なつやすみの友」と「ラジオ体操カード」

 

宿題はドリルの他にも図画工作読書感想文もあった。

自由課題(研究)と題して、昆虫採集、朝顔やヘチマの観察もあった。

さらに宿題の一連として、ラジオ体操、学校のプール、家の手伝い、小遣い帳もつけた。

今にして思えば、よく毎日 やったもんだと有森裕子みたいに自分を誉めてあげたいぞ。

 

毎日の絵日記も決して楽なものではなかった。

(これが苦労なく出来た人が、現在ホームページで日記をつけている人なんだろうと思ったりする)

ところで、その絵日記だが、その日の天気や最高気温も書いたと思うが、今年の

東京のように「38℃」なんて体温より高い温度を書くことはまずなかった。

せいぜい、32℃とか31℃とか書いたような気がする。

体温より気温の方が高いということは、理論的には裸で抱き合っている方が涼しい、、、

ということになる。(試してみるか。。。)

アフタヌーンショーで夏休みの最後の日に、8月の天気をまとめて教えてくれる

コーナーがあり、小学生の必見番組だったと思う。

当時はビデオ録画なんてものはなかったので、熱心にメモをとったものだが、

先生の方も生徒の日記の天気が正しくつけられているかをチェックする暇で

なかったらしく適当な天気を記入してもお咎めを受けたことはなかった。

(ちなみに最近、感心してしまったのは、パソコンや携帯電話で各都道府県の天気や

最高・最低気温を日本気象協会が宿題に悩む子供たちのために?提供していると

いうことだ。うーむ、本当に便利な世の中になったもんだ)

 

最後まで残ってしまう宿題は「読書感想文」と「自由課題」と相場が決まっていて

これを「夏休みの宿題ずっしり重たい2大双璧−ファイトぉ〜1発っ!的ホームワーク」

と呼んでいいだろう。

 

読書感想文の手抜き方法としては、以下のやり方があった。

・兄姉が読んだ本のあらすじを聞いて、それに対する感想を書く

・「あらすじ」と「あとがき」あたりを読んで、それを適当に加工する

・適当に開いたページを読み、そこをすべて引用して「ぼくが一番感動したのは、

 次の部分です、、」と書く。

・文字数が足らない時には、主人公の言葉を適当に引用して「ぼくは、主人公の

 この発言(セリフ)がもっとも印象的でした」と書く。

・必殺技としては、「冒険ガボテン島」から憶測して、「十五少年漂流記」の感想を

 書くのだが、登場人物に”トマトちゃんやケロちゃん”などと書いてはならない。

 

 

だいたいの場合このらの方法を駆使すれば、本を読まなくても1時間もあれば感想文が書けたりする。

※良い子のみなさんは、けっして真似をしないように!

 

自由課題の宿題といえば、”定番”としてこんなのあった。 

 

【男の子版】

● お菓子とかの箱の内側に 魚、タコ、イカなどを画いた

  ものを糸で吊るして、青いセロハンで 中が見えるようにする。

 「ほぉ〜ら、海の中だよ」みたいなやつ。。。。

 (これって有名だけど名前は何と言うんだろうか)

 

● 家の中にあるガラクタを適当に組合わせてつくる「ロボット」

  ガチャポンのカプセル、シャンプー・ヤクルトの容器

  (目玉には切れた豆電球が定番)  

  

● 当初の目的がうまく創れず、苦し紛れの「貯金箱」

 (本当は何が作りたかったのかそっちの方が知りたい)

 

●針金を適当に曲げたピカソ風、抽象造形物

 (小学生がつくる抽象物は極めて評価が低い)

 

●段ボールで作った何か

 (段ボールを使用しただけで、なぜか先生からの評価は高い)

 

●かまぼこの板で作った船や車

 (通称かまぼこ船はゴムを動力にして走らせる。簡単にできるが、

見た目がいかにも安ぽいので車をつくろう)

 

●なんか妙にハイテクぽい感じのするもの

 (モーターにプーリーをいくつもつけて、輪ゴムでつないで何かを動かして、

豆電球を光らせたり、バイメタルを使って点滅させちゃったりして、、、) 

 

 【女の子版】

● 牛乳ビンのまわりに紙ネンドをつけて、まわりに絵を画いた

  花瓶、一輪挿し

  (貝殻を貼り付ける方法もあり、これはさわやかであった)

 

● 旅行に行った先で買った「絵はがき」を適当に模造紙に

  貼って その観光地の説明を余白に書く

  (容易に作れ、見た目ボリュームがあるので困った時にはつぶしがきく)

 

● 卵の殻をこなごなにして モザイクにして、絵を画く

 (こういうチマチマしたことは外国人にはできない)

 

● ステンドグラス風 適当に色セロハンを並べる

  (出来上がりがきれいなので、評価が高い。但し、のりでベタベタになった場合は失格)

 

● 旅行に行った際にみつけた きれいな貝や小石の標本

  (ややもすると自己満足、自分だけの思い出になりがちなので注意が必要)

 

●ストローを切り合わせて作った家

 (ストローで「夢殿」を作ってきた人がコンクールにも推薦された)

 

当時は東京でも クワガタ、カミキリムシ、オニヤンマ、カナブン、モンキチョウ

なんかも採れたので、昆虫採集を自由課題にしているやつも多かった。

「昆虫採集セット」というものが、文房具屋や駄菓子屋で売られていて、これを

使って標本を作るのだ。

このセットには、次のようなものが入っていた。

・注射器

・虫を殺す薬(小さなビンに入っていた)

・防腐剤(小さなビンに入っていた)

・ピンセット

・虫ピン

・虫めがね 

ケースには贈答用のお菓子の箱に脱脂綿を敷いて、捕まえた虫たちの形をくずさ

ないようにピン(あるいはまち針)で留めるんだ。

9月になって、自由課題を学校に持っていき、約1ケ月くらい教室の脇に展示されるの

だが、2週間もすると虫の羽根・足がとれてしまい、そのうちに首がもげてしまい、

元は何の虫だったかわからないくらい変身してしまったりする。げっげっ、、、

 

クラスの中にはいかにも「デパートで買いました」みたいな立派な昆虫採集を

持ってくるやつもいた。箱といい、陳列状態といい、そしてこんな立派なカブトムシが

この辺にいるわけねぇ〜だろうみたいなでっかいやつを持ってきたのは、奥山くんだ。(笑)

 

 

夏休みの間に「登校日」という日があったけど、あれの目的は一体、何だったのか

あらためて悩んでしまう。

「給料日に先生だけ学校に来るのが嫌だから、ついでにガキも登校させよう」って

のが本音だろうと穿った見方をするようになったのは、はすぴーが大人になった

証拠だろうか。

登校日には誰が一番(日焼けして)黒くなったかを競い合ったり、どこに旅行に

行ったとか、宿題の進捗状況のサグリを入れたりしたもんだ。

登校日に出てこないヤツがたまにいた。あの頃に長期旅行ができた家はそんなに

多くはなく、海外旅行なんてまずなかったから、たいていは両親の田舎へ行って

いるという理由だったが真相はわからない。

 

 

こうして夏休みの後半はバタバタとして、新学期が始まるわけだが、別人のように

真っ黒になった中に、クラスの中に見なれぬ顔が下を向いてまじっていることが

あった。夏休み中に転校してきたってケースって、結構多かったように思う。

、、、ということで「なぞの転校生の想い出」に話題は飛ぶのであった。

 

※最近の小学生は夏休みの自由課題をインターネットを使って、こなしてしまう

ことが「うっそぉ〜!信じられないっ〜」と思ってしまう、はすぴーであった。。。

 

(原稿:2001/8/17)

 

 あの頃のセピア色の想い出

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