デパートの想い出

  


昭和の「あの頃」を語る上で忘れてならないのは、やはりデパートにまつわる想い出だろ
う。今ではデパートで買い物をすることは日常的なことであるが、当時は"デパートに行く"
ではなく"デパートにお出かけする"というくらいお上品なイベントであり、子どもはもとより
大人だってワクワクしてお出かけしたのだ。現在に例えるなら、ディズニーランドと
ディズニーシーの両方にお出かけするくらいの感覚だろう。そんな大袈裟な、、、と
思われる方もするかもしれないが、事実、デパートに出かける際には、お父さんはいっち
ょうらのスーツをきてポマードで髪型をバッチリ決めて、お母さんは出かける前の化粧時
間は30分以上あったと思うし、おしゃれな洋服を着こなし、時には着物をきることもあっ
た。子どもだってほとんど七五三状態だったりして、それだけ気合をいれる必要があった
わけだ。そしてデパートから帰ってきたらクラスメートに「昨日、うちはデパートにお出
かけしたのだぞ」といえば「おー、それは羨ましい」という反応があった。やはり当時の
デパートはディズニーランド並みのステイタス、都会人のトレンディであったと言えよう。


   
            スーツ姿の父親は珍しい                      はすぴー5歳&姉貴7歳             


オイラは東京の足立区に住んでいたので、デパートといえば、日本橋の三越上野の松坂屋
あるいは新宿の伊勢丹あたりに連れて行ってもらったようだ。デパートにはたくさんのア
ドバルーンが浮かんでいて、目を閉じると当時のカラフルなアドバルーンたちが風に漂う
姿を思い出すことができる。僕たち子どもにとってデパートで何を買い物したのかほとん
ど記憶はないのだが、何といっても楽しかったのは屋上とおもちゃ売り場とレストランであった。



    
   アドバルーンでの宣伝は派手だった         胞子状態のアドバルーン



【デパートの屋上】

当時のデパートの屋上はちょっとした遊園地になっていて、メリーゴーランド、豆汽車、
コーヒーカップ、ミニ観覧車、電気自動車、ジェットコースターのようなものさえあった。
そして滅多に食べることのできないアイスクリームやポップコーンまで買ってもらえるの
だから、お子ちゃまにとって楽しくないはずがない。さらにゲームコーナーあり、ペット
ショップあり、モノレールあり、望遠鏡あり、モハメッド・アリ、、、(笑)
仮面ライダーショーの類は当時はなかったが、歌謡ショーみたいな催しがあってもしかし
たら昭和39年デビューの都はるみの新人時代を見ていたのかも知れない。

そのうちに親たちは疲れてきてベンチに座りながら「ほら、ゲームでもしてきなさい」と
100円玉を渡された。あの頃のゲームは1回10〜30円だったと思う。定番はドライブゲーム
でくねくねした道をハンドルでうまくブリキのジープを操作して走らすヤツだった。道
に等間隔にでっぱりがあり、車の真下にそれを触るように進めていく。センサーなんてあ
るわけでなくでっぱりに触れたらオンになる単純な作りだ。パネル表示は何パターンかあ
ったように記憶しているが、東京〜大阪ドライブコースとか東海道53次コースとかがあり、
「おっ、今は小田原だ、もうすぐ名古屋だ」と興奮したもんだ。その他の定番ゲームでは
潜水艦から魚雷を発射して敵艦を沈めるやつとか、左右、上中下段から飛んでくるジェッ
ト機のシルエットを打ち落とすやつとか、ヘリコプターを操ってうまく定位置に着陸させ
るやつとか、、、慣れてくると再ゲームも簡単にできるような難易度だった。他にはクレー
ンゲーム
があった。今のUFOキャッチャーのようなものではなく、まさにクレーンが飴
やラムネを鷲づかみにして吊り上げるのだ。あとは射的やパチンコ台、スマートボールな
んかもあったが、こうなるとただの縁日と変わらなくなってしまい、デパートとしてのお
上品さが薄れてくる。


      
定番のドライブゲーム       ハンドル操作でくねくね道を進んでいく      こちらはもう少し後の時代のゲーム


       
   
わたあめ製造機                           デパートの屋上といえば、これだ     


この写真はオイラの姉貴なのだが、こういう機械も当時はよくあった。「ディズニー・ムー
ビー」
とかの名前だったと思うが、実際はムービー(動画)ではなく、音にあわせてスラ
イドがカチカチとめくれる仕組みだ。白黒テレビの時代だったので、美しいカラーが珍し
かったのだろう。

    
  カラーのスライドを覗くだけのゲーム                    ウイン・コーラ? なんじゃ、これは。。。


なぜかデパートの屋上の入り口付近がペットショップになっていて、子犬、小鳥、熱帯魚、
金魚、そしてミドリガメや爬虫類なんかも売っていた。三越か伊勢丹の屋上には確かアシ
カがいたような気がする?が記憶違いかも知れない。ペットショップもまたデパートにお
出かけする楽しみのひとつであった。
いずれにしても、あの頃のデパートの屋上は子どもたちにとっては非日常的で天国みたい
なところだったように記憶している。




【おもちゃ売り場】

最近ではあまり見かけなくなったが、あの頃(自分も含めて)デパートのおもちゃ売り場
で「これ、買ってくれーー」と泣き叫ぶ男の子がよくいた。デパートのおもちゃ売り場は
街のおもちゃ屋さんに置いていない豪華なおもちゃもあったし、種類が豊富だったと思う。
そして普通のおもちゃ屋さんと異なっていたのは、実際に手に持って勝手にいじることの
できる見本のおもちゃがわんさとあったのだ。でっかいレーシングカーのコーナーでは羨
望のレーシングカーを自由に遊ばせてもらえた。そういえば、リカちゃん人形10体をシェ
ーの形をさせたままにして帰ったのは当時のオイラだ。(ごめんなさい)はすぴー倶楽部で
も取り上げたことがあるが、ラジコンカー、レーシングカーウルトラマシンなど箱の大
きいおもちゃがパンパカパーンと山積みしているのが、デパートのおもちゃ売り場の醍醐
味だった。トランシーバーや電子ブロックのハイテク系はカギのかかったガラスのショー
ウインドウに入っていたので、これらは手にすることはできなかった。手品の実演販売は
ずーと見ていても飽きることがなかった。親から手を引っ張られるようにデパートのおも
ちゃ売り場から離れたことを昨日のように覚えている。そう、まさに当時の子どもにとっ
てデパートのおもちゃ売り場は輝かしいおとぎの王国だったのだ。


   
アイスクリームのカップを持って(姉)                   この日だけは仲良しなのだ


【レストラン/お子様ランチ】

あの頃、ファミリーレストランというものはなかったので、デハートにお出かけして展望
レストランで家族で食事をすることは、これまた非日常的で忘れることのできない楽しか
った想い出だ。まず大衆食堂みたいに最初に食券を購入する。席は店員が案内してくれる
わけではなく、空いている席を自分たちで勝手に座る。ウエイトレスさんがやってきて食
券の半分を渡す。姉はたいていグリーンピースがのったオムライスを注文したが、オイラ
はお約束の定番「お子様ランチ」だ。まぼろしチャンネルによると、お子さまランチの元
祖は、昭和5年に日本橋三越が「御子様定食」の名で出したのが最初らしい。チキンライ
スの型で抜いた2色ごはん、スパゲティ、コロッケ、ボンボン菓子、三角サンドイッチ2
切れで構成され、旗は日の丸ではなく、三越のマーク「越」であったらしい(笑) 値段
は30銭というから現在の価格にしたら、1500円くらいになろう。手が込んでいた分、少々
高いか。翌年の昭和6年には上野の松坂屋が「お子さまランチ」と名付けてメニュー化し
ており、この名前が普通名詞となったといわれている。松坂屋の方はコロッケとオムレツ
とポテトサラダがあったことしか判明していない。ちなみにお子さまランチといえば、ラ
イスの上に立っている旗がシンボルだが、この旗は大阪の河内に住む老人夫婦2人が
内職で作っているそうで、1日千本生産して500円にしかならないそうだ。

テーブルには、ピーナッツの自動販売機が設置されていた。これはおとうさんたちのビー
ルのつまみ用で、球体をした機械に20円入れると、ピーナッツがパラパラと出てくる。た
ぶん20粒程度だったのではないだろうか。この自販機が面白くていつも父親にこれをやっ
てくれぃと頼んだもんだ。これとよく似た機械で喫茶店によく置いてあったのは、ピーナ
ッツの代わりに「占い」が細長い筒状になって出てくる「占い付き灰皿」があった。最近、
見かけないが数年前までは地方のドライブインとかに置いてあった。



懐かしの占い付き灰皿


デパートを出る時にはあたりはすっかり暗くなっていて、大きな紙袋をいくつも抱え、帰
路につく。おもちゃ売り場で買ってもらった荷物は自分でしっかりと持つ。帰宅したとた
んに疲れてふとんの中に直行するが、おもちゃは枕元において楽しかった一日をまた夢の
中で続きをみる。こういったワクワクとした疲労感は今の子どもたちにはあるのだろうか。。。

あの頃のデパートの想い出は優しい両親の匂いがしてくる。







(原稿:2004.4.6) 

「あの頃」のセピア色の想い出 


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