絶滅寸前こだわり商品No.4

だるまストーブ

 

最近みかけなくなったものに「だるまストーブ」がある。

はすぴーが中学3年生(昭和48年)の時までは、たしかに存在していた。

【だるまストーブの思い出】

日直当番は少し、早めに登校して コークス置き場へ行って薪やコークス、着火用の油を

染み込ませたやつなどを運んでくるのが日課だった。

火をつけるのにも コツみたいのがあって、やたらとうまいやつもいた。← たいてい勉強できない

薪を空手チョップやケリで 割ったりして競い合ったことも懐かしい。

太い薪に空手チョップで挑戦して、保健室行きのやつもいたりした。。。(アホ)

 

体育や音楽で教室を空ける時には、コークスをたくさんぶちこんで 「だるまストーブ」を真っ赤にした。

だるまストーブの周囲には 金網がはってあって、休み時間にストーブの近くで

「あ〜ぬっくい、ぬっくい」と言って じっとしているとズボンがあったまっちゃって、

やけどするくらい 熱くなってしまうんだ。

授業中はストーブの近くの席のやつは顔を赤くしてボーっとしていて、後ろの席の

やつは 寒い寒いと震えていたりした。

またストーブの上にはアルマイトの大きなやかんが乗っていて、給食の牛乳びんを

入れて「お澗」して飲んだりしたり、食パンを少し押し当てて、「あっ!」という間に

トーストの出来上がり。(ススがついたがそれも愛敬だった)

 

ストーブから外につなぐ「配管」?筒状のパイプ をネットにみたて、バレーボールを

やっていたら、先生にみつかり職員室へGo!

ストーブの中に爆竹や花火を入れて遊んでいたら、先生にちくられ 職員室行き。

雪の降った日には、雪玉をストーブで溶かしただけで、これまた職員室へ。。。

(だるまストーブには職員室行きという連想がはすぴーにはある)

 

そして火を消す時には、すごい煙と水蒸気がでるんだ。

日直は灰掃除をしなくてはならないのだけど、これは結構、面倒くさかった。

コークスといえば、すね毛や刈り上げた髪の毛を撫で付けると、コークスの

微細な穴に毛が入り込んで痛かった思い出がある。

【参照】はすぴーが21世紀に伝承するだるまストーブの着火・消火方法(笑)

 

【本題】

前置きが長くなってしまったが、はすぴー世代の方にとっては「だるまストーブ」

には「あの頃」の淡い懐かしさを誰もが持つように思う。

では、「だるまストーブ」は現在でも製造されているのだろうか?

インターネットで検索してみたところ、(株)田中機械製作所という会社で

製造・販売していることがすぐに判明した。

そして住所を見てびっくり、はすぴーの家からチャンコで15分くらいのところ

なのだ。かつて「キューポラの街」と言われた埼玉県の川口市(末広)にある。

灯台もと暗し、、、これだけ近いのであれば、直接お話を聞きたいものだと思い

あつかましくも田中機械製作所を訪れた。

 

田中機械製作所はいかにも町工場という感じのする鋳物工場であった。

できれば社長さんにインタビューをしたいとも思ったのだけど、「お前は何者だ?」

と聞かれたら困ってしまうので、暇そうに煙草を吸っていた職人さんに愛想を

振りまきながら近づいた。

 

はすぴー:「この工場でだるまストーブを作っているらしいですね」

職人さん:「全部をうちで作っているわけじゃないけどね。よくテレビやラジオの取材も

      くるけど、あんたもマスコミの人かい?」

はすぴー:「あっ、いえいえ、地元のただの通りすがりの者です」

      (絶滅寸前の商品をネタにしているホームページを作っていますなんて言えるかい)

職人さん:「うちはもともと別のものを作っていたんだけど、川口でだるまストーブが

      なくなちゃ困るとかで、うちで社長が引き受けたらしいよ」

はすぴー:「売れてますか?」

職人さん:「よくわかんねぇ〜な。家庭や学校で使われることはないだろうよ。

      工事現場でゴミを焼くのに使われるらしいな」

はすぴー:「実は私はペンションを経営している者なのですが、やはりログハウスには

      暖炉とかだるまストーブでないと様になりませんからね、むははは」

      (急に偉そうにウソぶる)

職人さん:「そーかい、そういう人お客さんもいるみたいだな。だるまは長持ちする

      からな」

まっ、こんな会話をさせてもらい、この工場がマスコミ関係では有名だということを

知ったので、さらに調査を開始した結果、色々とわかった。

 

全盛期には全国生産の8割を占めていた「だるまストーブ」の製造も、川口では

田中機械製作所だけになったらしい。

戦前から戦後にかけてストーブメーカーとして全国的に有名だったのが「福禄社」という

会社があったそうだが、平成4年には製造を中止してしまった。

これが一貫生産の「だるまストーブ」の「絶滅」だと言えよう。

職人さんも言っていたように、田中機械製作所は一貫生産をしているわけではなく、

型を中国のモンゴル地方に送り、部品を製造させ、それを日本に送ってもらい、この工場で

組み立てているそうだ。いわば加工製造業であり、半分は商社の役割もあるらしい。

ストーブのような鋳物製品は手間がかかる割には値段が安くて、商売にはならないそうだ。

国内で型を起こして、溶けた鉄を流し込む段階から始めると、美術品なみの価格になるとあった。

 

田中機械製作所は大正3年の創業で今の社長さん(田中勲社長)は3代目にあたるらしい。

もとは製麺機械や戸車を作るのが、専門であった20年前からだるまストーブを作るようになった。

昭和30年代には100人ほどの職人さんがいたそうだが、現在では9人とのこと。

ここの工場では、秋から冬にかけて毎年、1000個程度生産されている。

デザインは私たちが「だるま」と呼んでいる型(胴張と呼ぶそうだ)のみで、大きさを変えて

3種類ある。8号サイズは高さ80センチ、重さ42.3キロ、送料込みで¥48,000。

 

最後に、ある資料に、田中勲社長のコメントが掲載されていたので、転記させてもらおう。

『……ストーブというのは不思議ですねぇ。燃え上がる炎を見つめているだけで楽しい。

遠い昔の記憶やら想い出がふぅーっと甦ってきます。そして誰しもがいい顔になるんです。

炎というのは不思議な力を持っていて、ストーブの周りに自然と人が集まって来ます。

ドーンとあぐらをかいた親爺みたいなもので、居心地のよい場所というのはそういうもの

なんだろうとおもいますよ。』

 

今回の調査では「だるまストーブ」から懐かしい思い出を蘇られてもらい、また人間臭い

温もりを感じさせてもらった。

私たちはもしかしたら、利便性と引き換えに大事なものを失いかけているのかもしれない。

 

(株)田中機械製作所 

〒332-3451 埼玉県川口市末広17-21

Tel 048-222-3451代表  Fax 048-222-6273

 

川口市鋳物資料室

埼玉県川口市本町1-17-1(中央公民館隣)

п@048-258-1110(代)

川口の伝統を受けつぐ地場産業である鋳物業。それに関する資料を残し、後世に伝えるための資料室。

入口から奥へ続くスペースには、なつかしい鋳物製の石炭ストーブが並び、展示室では、歴史や鋳造

に使うさまざまな道具を見ることができる。中でも、キューポラの模型と溶解炉に風を送る

「だるまふいご(たたら)」が、実物のままで展示されていて、今にも職人さんの息づかいが聞こえてくるよう。

(原稿:2000.10.14)


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